さらぬ別れ
(原文)むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。
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- いやし→身分が低い。
- 母なむ宮なり→業平の母は桓武天皇の皇女、伊登内親王。
(現代語訳)昔、ある男がいた。身分は低かったが、母は内親王だった。
- 長岡→京都府長岡、平城京から平安京に移るまでの10年都だった。
(現代語訳)その母親は長岡という所に住んでいた。
(原文)子は京に宮づかへしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。
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(現代語訳)子は京で宮仕えしていたので、母のもとに参上しようとしたけれど、たびたびは参上できなかった。
(原文)ひとつ子にさへありければ、いとかなしうし給ひけり。
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(現代語訳)一人っ子でもあったので、たいそうかわいがった。
(原文)さるに、十二月ばかりに、とみのこととて御ふみあり。
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- さるに→そうしているうちに。
- とみのこと→急なこと。
(現代語訳)そうしているうちに、十二月ごろに急な用があるいって、お手紙があった。
(現代語訳)驚いて見ると、歌があった。
(原文)老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな。
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- さらぬ別れ→避けられない別れ。
- 見まくほしき→「まく」は意志を表す助動詞の「ま」に名詞化の接尾語「く」で「見ようとすること」
(現代語訳)年をとってしまうと、避けられない別れがあるというので、いっそうあなたに会いたいと思うよ。
(現代語訳)その子はひどく泣いて、歌を詠んだ。
(原文)世の中にさらぬ別れのなくもがな千世もといのる人の子のため。
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(現代語訳)世の中に死に別れなどなければよいのになあ。千年も生きていてほしいと祈る子のためにも。
解説子は新都平安京に、母は旧都長岡にいる。子は政務が忙しくて、母を訪れることができない。母は老い先なく、病気がちである。そんな中での親子の間の愛情を描いている。